アントニオ猪木のモノマネの先駆者である春一番さんが,肝硬変のため、7月3日、都内の病院で亡くなりました。
たまにテレビで見掛けては、やせ細った身体で”燃える闘魂”アントニオ猪木のモノマネをしていた春一番さん。
どこか身体の具合が・・・。と思う人も多かったはずです。
アントニオ猪木モノマネの先駆者 春一番
本名 春花 直樹(はるはな なおき)
サラリーマン生活から芸人を志し、片岡鶴太郎のもとに弟子入り。
当時見かけなかったアントニオ猪木のモノマネで、お茶の間の笑いをとっていました。
”燃える闘魂””ストロングスタイル”危険な相手と闘う時ほど、当時の猪木は狂気と化していました。
そんな猪木をお笑いとしてモノマネ・・・。
見ている人達にはたまらないショーでした。
そんな春一番さんは過度の酒好きで、それによる素行不良から太田プロを解雇されることに。
その後、ビートたけしさん、ダチョウ倶楽部からも、飲んでいないか心配されていてもお酒を止めることはできなかったようです。
2005年8月には腎不全(病名は肺膿瘍)で入院し、手術を受けることに。
その時は何とアントニオ猪木の見舞いを受け、
「病院で会うのはつまんねぇ。元気になったら飲みに行こうよ」
と言われるほど、猪木との親交が深かったと言います。
それは演説中にまで彼の事を話していることからもわかります。
今や多くの人がアントニオ猪木のモノマネをしていて、その影はいつしか薄くなりましたが、アントニオ猪木自身から慕われていた一番の芸人でもあったのでしょう。
猪木に憧れ、その最期まで猪木一筋。
酒に溺れた人生であっても奥さんは大切にしていたようです。
春一番さんのご冥福を祈ります。