992[1]選挙で10戦10敗の男、マック赤坂

街頭演説や政見放送ではふざけた格好や言動でもはや有名人。

スマイルセラピーでスマイルをひろめる彼にもメディアにはあまり紹介されない別の顔があります。

マック赤坂のスマイルが消えた時・・・。

 

マック赤坂 家族と素顔

 

本名 戸並 誠

1948年9月18日(65歳)

愛知県名古屋市生まれ

京都大学農学部卒業

財団法人スマイルセラピー協会会長、スマイル党総裁

実業家であり、政治活動家でもある。

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マック赤坂さんの家族は?

28歳の時に結婚をして、32歳で離婚。

奥さんは離婚後に子宮頸がんで亡くなられたそうです。

お子さんは、息子さんが一人。(健太郎さん)

現在は、マック赤坂さんが経営していた会社、「マックコーポレーション」の社長をしているとか。

離婚した奥さんが亡くなったため、健太郎さんはマック赤坂さんの母親、健太郎さんのお婆さんが育ててくれたそうで、 父としては、反面教師であったと当時を振り返っています。

 

スマイルが消えた別の顔

 

マック赤坂さんは名古屋の貧しい家庭に生まれました。

そんな苦しい生活から、早くお金を稼ぎたい、大企業に勤めて成功者となりたいと思い続けたそうです。

大学はナンバーワンを目指し、東京大学理科II類を受験。しかし結果は不合格。

人生初の挫折を味わいました。

浪人となったマックさんは予備校には通わず自学で東大を目指します。

その当時を振り返ってこう語ります。

「当時は完全に東大病というか……。食事をする時間も怖かった。もう強迫観念だよ。朝昼晩、引きこもって勉強したね。……何度か電車に飛び込もうとしたよ。今でいう鬱病だな」

勉強しても勉強してもまだ足りない。いくらやっても安心できない。

そんな精神状態の日々を経験したことで、鬱病、自殺対策がマニフェストの一つとなったのでしょう。

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そして、1968年には京都大学農学部に入学。

京大では自由と自治、反中央の精神を学び、反中央の精神は、東大=中央の図式からマックさんの気持ちを昂らせたようです。

その後、京大を卒業したマックさんは伊藤忠商事に入社し、子供の頃の目標である”大企業に勤めて成功者となる”の一歩目を踏み出しました。

しかし、48歳になって伊藤忠商事を退社し貿易会社の”マックコーポレーション”を設立。

希少価値のあるレアアース、レアメタルを輸入し、これもまた子供の頃の目標”お金を稼ぐ”を実行し、財を築きました。

この実行力は、後からでてくるマックさんの”行動理念”からなるものでしょう。

 

人間 マック赤坂

マックさんと言えば有名なのは政見放送

何であんな事をするようになったのか?

きっかけは1991年都知事選での内田裕也さん政見放送を見た影響からだそうです。

知名度も基盤もない自分がどうやったら選挙を戦えるのか?

試行錯誤し模索し続ける中での出会い。

アカペラで”パワー・トゥ・ザ・ピープル”を唄う内田さんの姿を、マックさんは30回以上も見て研究したといいます。

メディアではどうせ泡沫候補扱いをされるだけなので、自分をアピールできる1番の場所は”政見放送”であると結論をだしました。

選挙に出たての頃、演説中にビンや缶を投げつけられたり、後ろから蹴飛ばされたり、「ゴミ!」と言われたりと散々な目に遭いながらも、 立候補の度に続けてきたあまりにも独特な”政見放送”

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ある意味これが、マック赤坂さんの存在そのもの。

最終的な目標でないにしろ、そこに向かうための計算が当たったとも言えます。

 

そこに向かうための計算 スマイルが消えた時

「みんなが何をマックに期待するのか。それは本当の俺じゃないよ。極端に言ったらな、俺はスマイルなんかできない。でも、スマイルしとけばええんやろ? 違うか……?」

実像と虚像というのは両方必要とマックさんは言います。

テレビだけ見ていれば”ただアホな人”にしか見えないのですが、色々調べるとこの人は???

と、考え直すものはありそうです。

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「究極的に言えば。人間最後はひとりで生きて、ひとりで死ぬ。所詮は、自分ひとりなんだ。人生は孤独だ」

と語るマックさん。

彼の”行動理念”は、『やらない後悔よりもやる後悔』

「行動=失敗だと思え。結果は大切だ。だが、失敗を恐れていては何もできない」

どうせ後悔する”人生”なら、思う事をやって後悔するほうが”人生”

そんなふうに受け取りました。