佐野実さんが、重度の糖尿病による多臓器不全のため死去されました。
「ラーメンの鬼」と知られ、「ガチンコラーメン道シリーズ」ではその道の厳しさを教えてくれました。
「ラーメン」のことを考え続けた人生。63歳没。
最後のラーメン
佐野さんが63歳の誕生日を迎えた4月4日。
奥さんのしおりさんが、しょうゆラーメンを病室に内緒で持ち込んだ。
本人の強い希望で持ち込まれた「支那そばや」のしょうゆラーメン。
しおりさんは佐野さんの体調を気遣い、スープを薄めていた。
佐野さんは「まずいよ、うすいよ」と言いながら、麺を10本ほどすすったそう。
それが職人”佐野実”が口にした最後のラーメン。
「ラーメンしか趣味のない人。最後までこだわっていた。」
しおりさんはその生涯を思い返し話した。
”職人”佐野実
佐野さんは、その才能と個性、そして運のお蔭か?あるいは正直さゆえか?
普通であれば変人で終わるであろうその言動に、何故か人々を納得させるものがある。
このブログの管理人である私は、職種は違えど同じ職人。
理容業であることから、接客の質はラーメン店より必要となり、気を遣わなければならない。
堅苦しさでは無く、くつろげる時間の為に気を遣うのです。
しかし一番大切に思うのは仕事(技術)の仕上がりや、自分らしさ。
そんな私から見た佐野さんは、素敵な人だった。
佐野実が素敵な所
その①
「なぜおいしいものにこだわるか、それは自分が食べたいからですね(笑)。こう見えても、毎日仕事が終わると反省してるんですよ。今日はここが良くなかった、ここが納得いかなかったって。それで、明日はこうしよう、ああしようと思うんです。」
自分がどうして欲しいのか、なにが欲しいのか。人は自分を基準に良し悪しを決めます。
しかし納得できるものは稀で、ほとんどは反省の毎日。
できるだけ多くの満足を求めて日々反省をする。
そんな真面目さが、佐野さんのこだわりなのでしょう。
その②
佐野実さんのお店では「私語は禁止」、「タバコ禁止」、「香水の強い人禁止」
真剣に向き合った作品が、自分自身の人生でもある。
その作品を台無しにする事に対しては遠慮を願いたいという気持ち。
プライドを持っているものが”味”であるのなら、台無しにすることはやめて欲しいと思うのは正直な気持ちからなのでしょう。
その③
麺の出来具合が悪い日はお店を開けなったことも。
自分の仕事のこだわりが感じられます。
当然人は機械ではないのですから納得できない仕上がりの時もあります。
売り上げの為にそれでも目をつぶるのか?
佐野さんの仕事はそういうものではないということです。
佐野実の『支那そばや』
『支那そばや』はかなり緊迫したお店のように思えますが、
お店での「私語は禁止」、「タバコ禁止」、「香水の強い人禁止」については、その言葉とは少し違う背景があるようです。
「店を始めた頃は、タバコもOKだったし、ビールも置いてました」
最初に禁止になったのは、タバコとビール。
タバコはその匂いから、一般的なことでもあります。ビールも客が長居をしたりするので、普通に考えられる事。
香水に関しては、「香水が嫌いとかじゃないですよ。香水を禁止にしたのは、すごく香水のきつい女性客が来たからなんです。もう店全体が香水の香りがして、ラーメンの香りが消されてしまうほどだったんです。それ以来、禁止にしましたけど、香水がきついのは困る、と言っているだけで、全くしてくるな、とは言っていません。」
これにもに理由としてわかります。
私語に関しては、「正確に言うと、私語を禁止したわけじゃないですよ。食事中は静かに、と言っているだけです。理由は、せっかく食べ頃を計って出したラーメンを、おしゃべりで箸を止めて、まずくして欲しくない」
「食事中は、店の中で一切私語厳禁とか、言ってませんし、ラーメンが来る前から、しゃべってはいかんとは思ってません。小さい声で話をするぐらいなら大丈夫なんですよ」
店内が全く無言のため、「こっちがかえって緊張しちゃうよね。ちょっとぐらい話をしてくれた方が店が和むのに(笑)」
と、多少の誤解を繕う話もしていました。
佐野さんがラーメン屋となったきっかけは、中学生の時、
「家でラーメンを作った時に家族から褒められたのが非常に嬉しかった」
そこから本格的にラーメンの世界に飛び込んだそうです。
佐野 実(さの みのる)
1951年4月4日生まれ
神奈川県横浜市戸塚区出身
血液型A型
ラーメン店「支那そばや」創業者。
メディアに多数出演
(『愛の貧乏脱出大作戦』、『ガチンコ!』の「ガチンコラーメン道シリーズ」)
「ラーメンの鬼」の異名で知られる
作り手の真剣な姿勢に、真剣に向かい合う。
真剣な姿勢に、真剣に向かい合うラーメン。
それが”佐野実”のラーメン。